備中國 松山城之合戦 平成廿七年 参月廿弐日(2015.3.22)
時は群雄割拠の戦国時代・・・
15XX年3月、出雲國の大名・江田豆隊長(えだまめ たいなが)は
山陽地方へと版図を拡大すべく挙兵。
配下の猛将・豆名 梵々(まめな ぼんぼん)をその一軍の総大将に抜擢したのであった。
隊長「梵々、おぬしには備中國の松山城攻めを命ずる。
四方を遥かに望む臥牛山に築かれし、かの天空の城を足がかりに…
わしはこの天下を手に入れる!」
梵々「ははぁーーーーーーっっっ!!!」
隊長「うむ、しかと働くがよい。ついでに臥牛山もピークハントしてくるのじゃ!」
梵々「なんと!ありがたき幸せーっ! 者ども出陣じゃ、わしについて参れぇーーーっ!!」
(こ、こいつ大丈夫かのぅ・・・)
かくして気合十分、破竹の勢いで出雲を飛びだした、梵々(=)率いる軍勢。
しかしあまりに破竹の勢いで飛び出しすぎて、備中松山城下・高梁の町までついてこれた者は、、、
その数、わずかに15名であったという…。
「うそーん、マジでーーーーー!?!?」
※備中松山城の詳細についてはコチラをどうぞ → wikipedia
梵々「し…仕方あるまい。このまま全軍を以て備中松山城に正面より攻め上がり、攻め落とすのみ!」
というわけで、今回は年度初めの合戦とあって、お互い初対面の人も多かったので
かるーく自己紹介だけ済ませ、備中高梁駅をスタート。
ぼぅお~~~~っ!!(ほら貝の音)
しかし、なかなか見所の多い城下町じゃの。
古い街並みの残る紺屋川美観地区も通ってみようぞ。
此処は桜が咲いたら、さぞ綺麗であろうなぁ。
梵々「見よ! あれに見えるが備中松山城ぞ!」
~まめ知識~
雲海でも有名なこの備中松山城は、天守が現存する全国12城のうちの一つであり、
そのなかでも唯一の山城に分類される。
標高約430mの小松山上(臥牛山の支峰)に築かれた城郭群は、
日本最高所(麓からの標高差)にある天守閣を持つ城として知られている。
門番のザ・しょうわハイカーはあっさりスルー。
いざ侵攻開始じゃ!
[audio:http://www.mame-vin.jp/wp-content/uploads/2015/04/hideyoshi.mp3]↑音量注意!
征くぞ皆の者!
エイ、エイ、オーーー!!!
陣形は「長蛇の陣」。
ぽかぽか陽気の中、全軍一列になって間道を攻め上がる。
道端のお地蔵様にも戦勝祈願。
うぬぬ。
敵もさるもの、余裕~のお出迎えじゃのう…
随所には、やけに親切な立札も。
な、なんたる心遣い。
自然は大切に。
せ、攻めさせてもらっといて…
かたじけないのぅ。
しかし、なんじゃいこの急坂は。
攻めあぐねる一同。
おお、ようやく城郭の一部が見えてきたぞ!
一気に攻め上がるのじゃ!
あっ・・・ そ、それもそうじゃのう。笑
ではしばし休憩じゃ皆の者~!
ここが中太鼓丸櫓跡。
麓の御根小屋(城主が普段居住していた館)と天守との伝達手段として、ここから太鼓を打っていたという。
これは素晴らしい、城下を一望のもとに!
では遠慮なく行かせてもらうぞGOOOOO!!!
よーし大手門跡を突破したぞ!
…っと、
ななな! なんじゃこの入り組んだ石垣は!
これでは先の様子がわからんではないか! ええい、怯むでないぞ皆の者!
しかし何て迫力の城郭じゃい・・・
うおお! あの塀に開けられたヘンテコな穴(石落とし、という)から、
敵兵が鉄砲を撃ってくる、おまけに石をガンガラ落としてくるではないか!
こりゃかなわんわぃ、落石注意じゃ!
ラーーーク、ラーーーーーーク!!!
(みんなも登山中に誤って落石を起こしたり見かけたりしたら、「ラーク!」って叫ぼうね!)
そしてこのビミョーに広い間隔で付けられた段差。
まっこと走り難くてかなわんわい!(これも防衛のための知恵なのだ)
ここは慌てずゆ~っくり歩むのじゃ。
ようやく三の丸に到達!
奮戦する侍大将・かっちゃん&足軽頭・きーち。
皆の者ぉ! 二人に遅れをとるでないぞ!!
すっすむっのじゃあ~~~~♪♪(楽しくなってきた)
御膳棚(かつて食事を作っていたといわれる場所)に到達。
すると軍師・キタロウが冷静に一言。
「じゃあここでトイレ休憩を」
う~ん、スッキリ。(はぁと)
そして二の丸到達!
もう本丸は目と鼻の先ぞ!!
キタロウ「じゃあここでお昼にしましょう」
へ? あ、、そうだよね!(^_^;) 腹が減っては戦はできぬモンね!(^_^;)
お昼~休~~憩~~~~~!
とても戦場とは思えない、穏やかな春のランチタイムであーる。
そこへ突然現れた、かっちゃん似の男。
「お食事中すまぬな、わが城へようこそ。」
そう、彼こそが備中松山城主・【三村イエチカっちゃん】である。
「せっかく来たんじゃ、誰ぞ、わしと一騎打ちで勝負じゃ!!」
「じゃーぼく、いきまーす!」
名乗りをあげたのは足軽頭・きーち!
正々堂々、いざ尋常に・・・
開戦!
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ピコッ! 勝負あり!!
かなりグダグダだったこの勝負、
制したのは我らがきーち!! (ってことにしとこう)
三村イエチカっちゃん、討ち取ったり!
みんなで勝利の記念ポーズ!
しかし! まだあの本丸攻略が残っているぞぅ。 気を引き締めて行こうぞ!
よーし突っ込めーーー!!! 300円払ってね。
小さいが、なかなか威厳のある天守閣じゃのぅ。
おじゃましまーす。
内部にはいろいろ展示してあってなかなか面白い。
皆の者、他のお客さんの迷惑にならないように討ち入るのじゃぞ~~~。
コレは、さっきもでてきた「石落とし」という穴。
そしてコレは「武者窓」。
外から中は見えにくく、中から外は広角敵の様子を見ることができる。
ふむふむ。勉強になるわい。
そこへ突然現れた、かっちゃん似の男。
「お勉強中すまぬな、わが天守へようこそ。」
お・・・お主は! さっき倒したはずでは・・・!?
「ふっふっふ。 それがしは三村モトチカっちゃん。 父上の仇、とらせてもらうぞ!」
ひぇ~~~~~!
「そうはさせないわ! シュバババ!!」
名乗りをあげたのは山くのいち・まっちゃん。
突然トリッキーな動きで敵を翻弄し始めた!!
「シュバババ!! シュバババ!! シュバババ!!」
シュバババ… シュバババ…
「あぁ~、シュバババが止まらなくなったわぁ~。」
「…。 じゃー結局、ぼくいきまーす」
どーにもなりそうにない空気を読んで、再び名乗りをあげた足軽頭・きーち!
でやーーーっ!!!! ピコッ
激闘の末・・・
結局勝利したのはきーち! (ってことにしとこう)
というわけで三村モトチカっちゃんも、討ち取ったり!!
(史実では戦国時代、この備中松山城は三村家親・元親父子の居城でもあった。)
僅か15名の手勢で備中松山城を陥落させた梵々たち。
小能く大を制す、である。
勝鬨をあげよ! エイ、エイ、オーーーー!!!
皆の者、大儀であった!
これより下山して麓の頼久寺へ向かい、
戦いの疲れを癒すとしようぞ。
武家屋敷が立ち並ぶ高梁の町を、意気揚々と引き揚げる一同。
ここが※頼久寺(らいきゅうじ)であるか、なんと立派な門構え。
三村の父子も、ここに祀ってやるとしようかの。。
※小堀遠州により造られた美しい庭園を持つ寺。国の名勝に指定されている。
史実でも、ここが三村家親・元親父子の墓所となっている。
庭園を眺めて悦に入る一同。。 300円払ってね。
白砂を水面に、躑躅を大浪に見立てた枯山水の庭園。 愛宕山の借景も見事である。
ふぅ、癒されるわい・・・。
キタロウよ。 お主の働きも、お屋形様に、しかと申し伝えておくぞ。
ふふふ、褒美が楽しみじゃのー!
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~評定にて~
隊長「これより論功行賞を始める。梵々よ…こたびの城攻め、天晴れであった!」
梵々「ははぁあああああーーーーー!!! (やったぜ!)」
隊長「しかし、命じたはずの臥牛山ピークハントはどうした?」
梵々「へ? あー… すっかり忘れてました。てへっ(´∀`*)」
隊長「バカもんがああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
※一説によると、この血の気の多い江田豆隊長こそ、後の世に「豆塾」を開いたあの人の祖先らしい…。
んがあぁぁ!
・
◆◇◆討ち入り連判状◆◇◆
おがちゃん(体験)
ともち(new)
きたおちゃん(new)
がっちゃん(new)
名人(new)
ゆう
まきちゃん
やすぴー
ぱんだ
かどちゃん
まっちゃん(くのいち)
きーち(足軽頭)
かっちゃん(侍大将)
キタロウ(軍師)
ぼん(=梵々、総大将)
(この記事はだいぶかなりフィクションです。ゆるハイキングなので許してね。笑)
2015 年 4 月 15 日